先代ねこ

そのネコはもう7歳で、外に行っては顔にキズをつけて帰ってくるような気の強いオスだった。顔にキズをつけるのは強い証拠、弱い仔は後ろを向いて逃げる時に下半身にキズを受ける。鼻の横を3センチほどざくりと切って帰ってきた事もあった。
 そんな気の強い仔も、家族にはとても優しい気持ちを持っていた。
初めて見る赤ん坊を珍しそうにベビーベッドの柵の間から見て、「かーさん これなあに?」と不思議そうな顔をしていた。
「弟だから 優しくね」と言ったのが通じたのか、一度も爪を出した事がなく遠慮を知らない人間の弟の玩具になった。
 何年も何年も過ぎて、あれほど抱かれる事が嫌いだった仔が膝の上を占領するようになってきた。時々てんかんのような発作を起こす事もあった。
それでも人間の弟の方がずっと体は大きくなっていても、彼はいつも兄ちゃんだった。

 秋の終わりごろ、わたしは職場で「かーさん」と言う声を聞いて、思わず周りを見回した。
職場はマンションの一室で彼の声なんてするわけがないのに、ドアを開けて廊下まで見に行って気のせいだと仕事を続けた。
夕方帰宅すると彼が倒れていた。もう冷たく、硬直が始まっていた。
時間を考えると、あの声を聞いた頃かもしれない。
わたし達にあんなに楽しい時間をくれた仔を、たった一人で逝かせてしまった。
最後に抱きしめてあげられなかった。

 泣いて何もできないでいるわたしの代わりに、息子がダンボールを用意しお花も買ってきてくれた。
長く一緒に暮した仔だからと、ペットの葬儀屋さんに火葬をお願いした。鈴だけが焼けずに残って、手に取るとちりちり鳴った。
いつも一人で留守番ばっかりさせていたからと、合同のお墓に入れてもらった。天国があるのなら、そこでみんなと一緒に楽しく過ごしてもらうように。

 初めてのお盆の時、夜中にフローリングの床にカチカチと爪の音が聞こえた。寝ていた私の顔の横に彼の息があった。
「帰って来たね でももうここにいたらダメだよ あっちにお帰り。」
「わたし達は大丈夫だから心配しないでお帰り。」
そう頭の中で話しかけると気配が消えた。寝ぼけた頭で、それでも夢ではないと言い切れる。
わたしと息子が聞いた彼の最後の足音。その後二度と彼は帰ってこなかった。

わたし達は毎月お参りに行った。
13回忌が終わるまで。