「一杯だけ飲もうかな」
メニューに目を向けたまま小さな声でつぶやいた。
「飲んでもいいよ」
顔を上げると、いたずらっ子みたいに笑うキミの答えが返ってきた。
「一人だけ飲んじゃ悪いでしょ」
「そんな事ないさ」 「何にする?」
メニューをキミに渡し、「ん グラスワインの白」
「すいませーん、グラスワインの白とノンアルコールのビールをください」
背中を向け調理中のマスターに向かって、止める間もなくキミは声をかけた。
今日のためにキミが選んでくれたお店。
住宅街の中の一軒家を改造したカフェダイニング。
ドアーを開けると、白木のカウンターにお酒のボトルが並んでいるのが目に入る。
少し落とした照明に低く静かな音楽が流れている店内。
椅子もテーブルもシンプルできれいな木目。
壁には絵本が数冊飾ってある。
その壁際に席を取り、一冊を指差し「この本知ってる?」と聞いてみる。
「知らない」 「どんな話なの?」
本の内容をかいつまんで話しているうちに、最初に注文したサラダが運ばれてきた。
マスタードソースが効いたほうれん草のサラダ。
小皿に取り分けてくれるキミ。
「食べてごらん」
「うん 美味しい♪」
満足そうな笑顔の君に向かって、フォークを手にしたまま話の続きをする。
「ふーん 俺みたいだ」 「最後はどうなるの?」
「最後は死んじゃうんだよ・・」
「絵本なのにハッピーエンドじゃないんだ」
「うん でもね この本の主人公は優しさや思いやりを知って幸せに暮らしたから、不幸じゃないの」
残ったサラダをつつきながら、下を向いたキミがぽつりと言った。
「いい話だ」
お酒が飲めないわたしが、ふと飲んでみようかと思ったのは、そんな雰囲気の中にいたせいかもしれない。
「こうすると美味しいんだよ」
びっくりしているキミの顔。
お水のグラスに入っていた氷をスプーンですくい、ひとかけらワインの中に落とす。
きんきんに冷たくなる白ワインが好き。
グラスワインとビールで乾杯。
「酔ったらどうする?」
「大丈夫 ちゃんと送っていくから」
「歩けなくなったら?」
「抱っこして運んでやる」
「どこに行くの?」
「どこでも好きなところへ」
「寝ちゃうかも」
「子守歌でも歌ってあげるよ」
「ん わたしの好きなあの曲にしてね♪」
硝子窓の外には、月灯りに照らされ百日紅の花が影を落としていた。
ゆく夏のある日の光景。