恋ふ

「恋ふ」の命令形は「恋ヒヨ」です。若い国語教師が動詞の活用を説明して例を挙げたとき、ひとりの女子学生が起立して質問した。「先生、恋ヒヨという命令は成り立つのでしょうか」◆恋をすることを誰も命令はできないはずだと。若い教師——のちの国語学者大野晋さんは真摯(しんし)なまなざしに内心たじろぎ、言葉を吟味せずに惰性で講義をしていた自分を恥じたという◆後年、数々の著書が幅広い読者を得たのも、日本語の“ご意見番”として世に重きをなしたのも、文法には血が通っていなければならぬという教訓を終生、胸にかざしてきたからだろう。大野さんが88歳で亡くなった◆インドのタミル語と日本語の同源説を唱えたことでも知られる。発想の奇抜さゆえに一部で「学問公害」「疎論」などと論難を受け、出版社から干された時期もあった。一歩も引かず、百年後の友を求めて未踏の山坂をひとり歩いた信念の人である◆文法が苦手で、大野さんの著述に触れてもついに優秀な生徒にはなれなかったが、その人の生涯を貫いた命令形は胸に刻んでいる。ひたむきに、ひと筋の道を「恋ヒヨ」と。

(2008年7月15日01時50分 読売新聞)

読売新聞 編集手帳より



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“恋” は 「恋ヒヨ」 と命じられるものではなく、落ちるものです。

心の中にからんと恋の欠片が落ちる音を聞くのか、恋の中に心がすとんと落ちるのか。

人間に対してだけではなくて、文章でも絵や写真でも「恋ふ」対象がある人は幸せですね。

それとも、誰かに対して「恋ヒヨ」と言ってみましょうか・・・。











  せつなさの 白玉こぼれる 恋雫